車上生活で本を書く 青井硝子のケイトライフ

軽トラック上に家をDIYして車上生活する方法や、住所不定のままお金を稼ぐ方法、小説家になる方法などを記録していきます。普段は川原でBライフ的田舎暮らしをしたり、都会の駐車場にモバイルハウスで生活してます。ノマド生活や肩肘張らない起業に興味ある方はぜひ。

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1分アニメ 『ひじょーしょくっ!』 完成




ふぃー。丸三日を費やしてようやく完成しました。
仕事のための下地を二日かけて作ったので、あとは一日ごとに更新できるでしょう。
小学生から中学生に向けて作ったものなので、下ネタとかが嫌いな人は避けてください。絶望的に汚いので。

ちなみに舞台は旧三章のあと、一回目のバッドエンドを迎えた直後です。

あらすじ:

元の場所に帰ってきたおとーさん。
そして、世界へ向けて散り散りに旅立ったおかーさんの千匹の子どもたち。
その中に、一人のOLの手で育てられたユニーク個体がいた。
名前はサラ。

彼女は経験する。

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正月に親戚と会ってきた。


一族の思想は特殊だ。


うちの親戚はかなり狭く、大きく分けておばあちゃんと四姉妹しかいない。
その四姉妹の長女がなす家①と、三女がなす家②があり、自分は三女がなす家②の方に属している。

このおばあちゃんというのが実は厄介で、かなりの曲者遺伝子を持っている。
その遺伝子の特性が、
「IQが飛びぬけて高くなるが対人関係がお粗末になる」というものだ。
それがためかどうかはしらないが、この一族の中には特殊な思想が生まれている。

これはそんな一族の話。


長女の家①には、一族古来から続くある思想が直で伝わっている。
それは、「誰であるか」というものだ。
この思想を受け継ぐものは一つの特徴がある。それは、「私は○○という大企業の××に属していて、最終学歴は△△である」と自己紹介をするという特徴だ。その字面がきらびやかなほど、その思想に殉じていて立派で偉いと認められる。

これはおばあちゃんの持つ遺伝子の成立過程を振り返ればとてもわかりやすい。
この思想とおばあちゃんが持つ遺伝子は、極めて相性が良いものだからだ。


そもそもこの遺伝子が栄えたのは、封建社会の世襲制度と関係がある。

封建社会では社会制度の重要ポジションが世襲で決められていた。たとえば裁判や法律の運用といった公務員ポジション。これらは親が子に伝えることで社会が保たれていた。そこには成りあがりという概念はないし、カーストのように立場が固定されていたという。
しかし、それらの立場の中には世襲が難しいポジションがある。
たとえば倉庫番、たとえば帳面書きなどがそうだったといわれている。
これらのポジションは算数、数字、数学を使わざるをえず、今のように体系だった教育システムがない時代だと、子がそれらに適する才能がなければ社会がうまく回らない。
そこで封建社会の最初のほころびとして、それら数字を扱うポジションを民間採用にした。
その時、民間、つまり農民に生物学的な選別が働いた。曰く、

『数字の才が我が子に伝われば、そのポジションを独占できる』

かくして農民の中に隠されていた遺伝子、つまりうちのおばあちゃんが持つ遺伝子が安定したポジションに引っ張り出され、繁栄を見た。
これは「おばあちゃんの祖先は特殊な商人の家系でそろばんを弾いていた」という一族の奇妙な言い伝えとも合致する。

ただしこの遺伝子は大きな欠陥もある。それは前述の通り、対人関係がおろそかになる点だ。


長女の家①に伝わる直系の思想「誰であるか」は、そんな遺伝子の裏打ちがあって相互進化してきたのだろう。
登り詰めてどのようなポジションに配属されようがどんな複雑な計算を任されようが、訓練次第でできるからどんとこいや的な自信だ。


しかし、それと対比するようにして三女の家②で形成された新式の思想がある。
それは「何ができるか」だ。

長女の思想「誰であるか」に対応するようにして、あるいは刃向かうようにしてできた三女の思想「何ができるか」は、時代の先を行っている。前述の尖った遺伝子と、およそ日本社会らしくないその思想。その二つから生み出されるものは、ほとんどが今の日本社会と相容れないものだ。

たとえばこの、軽トラックに家を建てて放浪するような生き方。これはまさにここから生まれている。
しかし十年もたたないうちにこの生き方はスタンダードになると思っている。若い世代からの搾取は今後もより一層強まるだろうし、人口の都会一点集中と地方過疎化が進むからだ。


ただこの「何ができるか」思想にとって悲劇的なのは、「20~30歳までの間は何もできない」という点だ。
積み重ねた義務教育はしかしそれ単体で何かを生み出せるものではなく、成熟した産業や社会に切り込むにはより深い専門知識が必要で、それを手に入れるためにはさらに長い習熟期間を必要とする。
三女の家②には二人の息子がいるが、はっきりと成功したといえる兄は30に近づいてからだったし、弟の方は今もって習熟期間、つまり軽トラで放浪中だ。

例の特殊遺伝子も足を引っ張っている節がある。空気が読めなかったり、人と話すと頭が痛くなったりするというのは、人間社会で事を為そうとする者にとって明らかに不利だ。そういう時に一番助けてくれるはずの親戚連中がほとんど全員「誰であるか」教信者で手を貸してくれない、または有効なアドバイスがしたくてもできない、というのも大分不利なように思う。世の成功者はえてして親族に助けられているというのは色々見てきて思い知っている。(その点で兄にはとても感謝している)


対して長女の家①は三人の子がおり、それぞれ国連に行ったりなどいいとこに勤めている。20歳までの蓄積がストレートに「誰であるか」教教理に則って生かされている。そもそも義務教育というのはそういう民間拾い上げに最適化しているらしく、この遺伝子に非常に有利に働くらしい。(もちろん各員努力はしている)

えてしてそういう「誰であるか」を極めようとすると、「あれをしたいこれをしたい」という自我が邪魔をして際立った成績を残せないものだ。現に自分はそうだった。
しかし、ここで長女の家①の子の言葉が面白い。


「おれ、大学入るまでモノゴコロついてなかったんだわ」


遺伝子なのか育て方なのかは知らないが、たしかにそんな節は要所要所で見受けられた。
幼形成熟による反抗期の晩年化。環境適応ここに極まれりだ。


かくして珍妙な遺伝子と二種対極の思想に支えられ、超個性的なメンツが年一回おばあちゃんのもとに集う。

長女の家①で育った子らにとっては、「自分は何ができるのか」を突きつけられることが怖い。
逆に三女の家②で育った子らにとっては、「なぜ職に就かないのか」を問い詰められることが怖い。
最近はこの思想の対立が顕著になってきてぎくしゃくしているようにも思うが、基本的には楽しい集まりだ。
毎年疲れるがとても興味深くて面白い。傍から見る限りにおいてこれほど奇妙で相克的な一族はいないだろう。
来年みんながどうなっているか、とても楽しみだ。

(本音:あ゛~~~~~~~~~疲れた!!)


追記:なお、長女の家①で育った長子は、なぜか「誰であるか」教には染まらず「何ができるか」教に入信した。今はアニメーション映画の撮影に参画し終わってプロダクションにてアニメ制作に携わっている。そんな立派な長子をその母である長女は未だに認めていないそうだ。「立派さ」の尺度が決定的に違うのだろう。
私も三女の家②の子として、「何ができるか」教の教理に則って素晴らしい物語を描けるようになり、発明品の数々を世に出す事を改めて新年に誓う。


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