車上生活で本を書く 青井硝子のケイトライフ

軽トラック上に家をDIYして車上生活する方法や、住所不定のままお金を稼ぐ方法、小説家になる方法などを記録していきます。普段は川原でBライフ的田舎暮らしをしたり、都会の駐車場にモバイルハウスで生活してます。ノマド生活や肩肘張らない起業に興味ある方はぜひ。

2014年12月の記事

共感の範囲とその個人差について

プロットをくるくる動かしているとき、「この子は今どういう風に考えているのかな」と精密に追うことを癖にしている。
というのは、プロット作り初心者の頃に師匠や兄弟子に「主人公の心理描写があまり書きこまれてない」といつも指摘をされていたから。それ以来の癖だ。
今では完全にトレースできるようになったという自信もある。

しかし実際に書き上げて投稿サイトなどにアップすると、「全然まったく一ミリも共感できない」という感想が時折見られる。
逆に、「すごくよくわかりますこの主人公の心情」という意見もしばしば寄せられる。
そういえば、「ねーよwww」という砕けた表現のもよく見かける。
これは何だろう。


今まで原稿用紙で1600枚くらいは書いたので、今まで自分自身も知らなかった頻出モチーフ、よくやるオチの付け方、主人公の傾向、などが大分見えてきたように思う。
その中で最も特徴的なのが、「主人公が他者に共感する時、その範囲を自主的にコントロールできる」というものだ。これは特に成熟した主人公に多い。今書いている非常食シリーズなんかまさにそれだ。
そして、読者の違和感はまさにここからきているらしい。


大学時代、共産主義の人がいた。しかも中核派の生き残りだ。
その人は、自前のスピーカーを使ってたった一人で街頭演説を行っていた。法政大学で決起集会を行うだとか、全世界同時革命とか、かなり奇異な大風呂敷を広げていたので、面白いと思って彼と話し込んでみた。彼のアパートにお邪魔し、14時間、二日にまたがって討論を行った。

結局主張は平行線のままだったが、得られるものが多い体験だった。その得られたものの一つとして、共感の範囲、というものが明確になったことが挙げられる。
彼の主張を要約すると、労働者の立場が弱いから資本家を打倒して労働者中心の社会を築こう、というものだった。そのために労働者決起集会があれば東西を問わず参加していた。彼の魂の根元には深い共感性があり、知り合いでもない「虐げられる労働者」というイコンに対して涙を流すこともあるほどだった。二つに割られるリンゴにすら共感を抱きかねないほどだった。

にもかかわらず、彼の理想に近しいと思しきチベットには何の関心も払わない。
「チベットが民族浄化されてる!全世界同時革命を標榜するなら何か行動を起こさないのか」と質問したら、そのニュース内容すらよく覚えていない有様だった。

これほど共感の範囲が広い人にも関わらず、海を越えた国には何も共感していなかったのが衝撃的だったことを覚えている。


これとは逆に、共感の範囲がめちゃくちゃ狭い人もいた。
焼き肉店を経営している在日ヤクザで、面の皮が物理的にも厚く、常に従業員を虐げていた。
彼によれば、「自分が守る範囲はめちゃくちゃ狭く、親兄弟、いやもしかしたら親は入らないかもしれない。それと特定の従業員。片手の指で数えられるだけ。それ以外はどうなろうと、たとえ生き地獄に落ちようが別に構わない」と言い切った。


共感の範囲は人ごとに違っている。本当に大きく違っている。
しかし、よくよく考えてみればそれはその人個人が持つ生来のもので、おそらくコロコロ変わるようなものじゃないのかもしれない。
そして、これが一番重要なのだけれど、「共感の範囲を意識して変えることができる」という人にはまだ出会ったことがない。
しかしながら自分にとってこれはとても自然なことで、冒頭で記した主人公の性格にもこれがしばしば浮き出てくる。目的のために必要であれば共感するし、必要なければ共感しない。それが共感の範囲が広い人にとってはまるで未知のことに見え、「全く共感できない」に繋がっているのではないだろうか、と考えている。
師匠の言を借りると「一般感覚が足りていない」ということらしいが、まさにそれなのだろう。

数を書くことは非常に大切だと身にしみた。なぜなら繰り返されるモチーフや傾向を把握し、それを一般的な感覚に(必要であれば)修正する作業がプロ作家になるために必須だからだ。それをサボればまぐれ当たりをしたとしても次作にはつながらない。それは不思議と確信が持てる。


しかしなぁ……。
そうはいっても共感の範囲を広めに固定すればありもしない理想に焦げ付くだろうに。
狭く固定したら人非人じゃないか。
みんなその辺どうやって現実と擦り合わせているんだろうか。
もうちょっと放浪して人生経験積む必要があるのだろうか。

まだまだ先は長い。


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もうすぐコミケ

明日はコミケ!
年に二回ある、古くからの友人と馬鹿話できるチャンスだ。

去年だったかおととしだったかは、古式泳法の本を買ってダムで実践した。
巻き足がなかなかできずに溺れかけたこともいい思い出だ。

古今東西のメイドについて学術的に記載した本も面白かった。
漫画や小説で語られているような典型的メイドは少数で、しかし少数ながらも実際に存在していた。素直に驚いた。

市販のコンデジを改造して夜桜をライトアップ無しで絶句するほど綺麗に撮影する方法をまとめた本。
結局コンデジ買わずにその取られた写真だけすげーすげー言いながら眺めていた。それだけでも楽しい。

このご時世に、ファミコンの新作を作った人もいたな。退職金突っ込んで、元プログラマの人にコードを思い出し思い出ししてもらいつつ、とのこと。
あの人は本当に営業がうまかった。

おジャ魔女どれみどっかーんという女児アニメの40話のみを解説するためだけに人差し指の関節幅分くらいある分厚い大判の本を2~3000円で売っていた人もいた。
監督インタビューや作画監督インタビューが描写や展開の参考にすごく役立った。

本気ですごいと思ったのは、自作の詩を作って売っていた人だ。その人とは飲みに行って仲良くなったが、言語感覚がキレッキレの人だった。
陶酔描写はそれを取り入れようと思ったけれども、レベルが違い過ぎて未だに構造分解できていない。

セーラームーンの格好をしつつケシの花の分類本を売る50代男性がいた。買いしなに、「道端の雑草を吸ってはレポしていた」と話したらとても気があって、長く話しこんでしまった。

エロ本も大量にあったけど、まあそれはいつものことなので。
たまーに、すごく稚拙な絵のロリ凌辱もののコピ本を売るスキンヘッドの2~30代男性がいてびびる。その前を通りがかると抑圧された魂の叫びが聞こえるようだ。

ニンジャスレイヤー絵の自作カードゲームを売っていた営業畑出身と思しきめちゃくちゃ弁の立つヘッズ=サンは元気に再販してくれるだろうか。あれジッサイやってみたい。

今ではめっきり見られなくなったモンスターコレクションというカードゲームの同人小説を書いていた同年代の人は元気だろうか。コミケ初参加で初めて買ったのはその人の本だった。結局最後まで読めていないが、まさか小学生のころに流行ったカードゲームを未だに好きでいてくれる同好の士がいるとは。


本当にコミケは面白い。
アメリカが人種のサラダボールなら、コミックマーケットは「好き」の溶鉱炉だ。

明日はそれに肩まで浸かり、楽しい三日を過ごしたい。


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