車上生活で本を書く 青井硝子のケイトライフ

軽トラック上に家をDIYして車上生活する方法や、住所不定のままお金を稼ぐ方法、小説家になる方法などを記録していきます。普段は川原でBライフ的田舎暮らしをしたり、都会の駐車場にモバイルハウスで生活してます。ノマド生活や肩肘張らない起業に興味ある方はぜひ。

2014年03月の記事

ケイトライフは手段であって目的ではない件について

よく勘違いされるのだけれども、ケイトライフは手段であって目的じゃない。

もうちょっと詳しく言うと、別に政治信条や環境問題に一石を投じるために何らかの活動を実践しているってわけじゃ決してない。

アートで成功しようという方向性を持って、そのための時間を生み出そうと創意工夫し、生活自体を楽に楽にシンプルにしてきた結果こうなっただけであって、別に全世界同時革命!とか現政権打倒共同戦線!とかアナーキスト万歳!とかを掲げるつもりなんて全然ない。


にも関わらず、軽トラック「エスカル号」を人が見ると、何らかの思いを馳せざるを得ないようで。


たとえばこんなことがあった。


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「ごはんどうするんですか?」
「いやまあ、パスタとか玄米とかですかね」
「煮炊きはどうなさるおつもりなんですか?」
「えーっと、普通にカセットガスコンロで」
「化石燃料じゃないですか!」
「え? ええ、化石燃料です、よねガスボンベって」
「なんで化石燃料なんですか!」
「ええ? だって一番カンタンで安いし……」


そこまで話してみてハッと気付いた。
この人、環境保護活動家だ。

エスカル号を見て、ソーラーパネルを見て、自分も同じ活動家だと思ったらしい。
そしてその前提で話をしてくれたらしい。


うーん誤解。

ケイトライフは手段であって、目的ではないんですよ。

バイトをすればどんなバイトでも月15万は貯められるし、日々の時間を捻出できるし、豊かな空き時間で副業できるし、いつでもどこでも行けて住めてネットも出来て引きこもれて便利なんですよ。

ってことを説明しようとしたら、逆に世界の崩れゆく自然環境とその保全について説明してくださった。


マクロの論理で生きる人はキラキラしてて大変だなぁ。
明日の昼飯は何味のパスタにしようかな。

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「生きている実感」に支払うコストについて

「人間、同じことをずっとやってると飽きるんですよ」ってのが結論です。


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 小学生のころに、国語の授業で「生きている実感がわくのはどんな時ですか?」という質問があったことを今でも覚えている。

 確かそのときの自分の回答は「美味しいものを食べた時」で、教員の期待する答えじゃなかったらしい。
 次に当てられた空手やってる友人(最近結婚した)は、こう答えた。
 「殴られて痛ぇって思った時」
 で、これが当時の教員の期待する答えだったらしい。

 多分その時の自分は、正解できずに悔しかったんだろうと思う。
 だから、あれからずっと「生きている実感」とはなんぞや、という妙ちくりんな事を時折思い出しては考え続けている。

 
 ケイトライフをやるようになって、ちょっとだけ答えが見えた。
 おそらくだけれども、生きている実感とは「長らく与えられなかった刺激を受けて、抑圧していた感情が表に出たときに感じる解放感やカタルシス」のことを指して言っているのだと思う。


 殴られて痛いと感じる事なんて生きている上でほとんど無いし、とてつもなく美味しいと思う食べ物に出会う機会もまれだろう。
 二つの例は共に、長いこと忘れていた感情を思い出させてくれた点で共通している。

 感情とは一握の砂のようなもので、しっかり把握しているつもりでもいつの間にか指の隙間からサラサラと零れ落ちてしまうものだと思う。ふとした瞬間にいつの間にか足りなくなってしまっていることに気付く。

 毎日同じものを食べていると栄養が偏るように、毎日同じことを繰り返していると心の栄養が偏る。日々サラサラと零れ落ちてしまう感情という砂を求めて、心が「早く補給してくれー」と叫んでいるのが分かる。
 叫びを無視することもできるが、それは心が黙ったわけではなくてただ耳を塞いだだけの一時凌ぎでしかない。
 心が疲れたという状態は、こういうことを指して言うのだとまずここで定義させてもらう。

 同じことばかり繰り返すと、得られる感情と得られない感情が出てきて、心が疲れる。



 さて、この欠落を満たすと金になる、ということに気付いた人たちが、やれフィットネスクラブだのスポーツジムだのリゾートスパだのを作って疲れたサラリーマンさん達を全力で癒しにかかっている。
 そういう施設はあまり利用したことがないので、前述の零れ落ちた感情をどのくらい満たせているのかは知らないが、それを利用している働きマンさん達も癒しの施術師さんたちもすごいなぁ尊敬しちゃうなぁと思っている。


 ただし自分はそんなマッチョな生き方はごめんこうむります。

 自分には向いてない。
 かかるコストがべらぼうに高い。
 バブルっぽい。
 バブルっぽさは今ではもう臭さと同義だ。


 感情のバランスを整えて、手軽に生きている実感を得たいのであれば、もう少しスマートな方法があるはず。
 要は同じことばかり繰り返しているから別の感情を補填する何かが必要になるのであって、定期的あるいは不定期に真逆の生活を取り入れればいい。


 そこで提案。
 夏が来たら冬が待ち遠しいのと同じように、全然別の二項対立を生活に組み入れようと思う。

 都会に住み飽きたら田舎へ。
 人付き合いに倦いたら人のいない場所へ。
 海がしょっぱすぎたら山へ。
 暑くなってきたら高地へ。
 寒くなってきたら高知へ。

 これで、生きている実感を得るためにかかるコストが最小限に抑えられる。
 翻って言えば、この生き方が一番生きている実感を感じやすいことになる。

 まるで養蜂家のような生き方だけれども、これに従って働き方を決めるのであれば可能かと思われる。
 今は都会の駐車場に停まってアルバイトで金を貯めているが、適度なところでまた田舎の無料駐車場で暮らそう。夏場だけリゾートバイトでお金を貯めて、その他は諸国遊覧でもいけそうだ。
 また河原にしようか、それとも湖にしようか。そういえば北海道に行く約束もしていたな。


 将来的には文筆業を軌道に乗せ、更に生きている実感を得やすい生活スタイルに変えていく方針でいこう。
 さらには「日本に飽きたら海外へ」という二項対立も生活に組み入れたいところだが、なにぶんフェリーでいける外国が近くにないため検討中。


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 人は同じことばかりやってると飽きる。
 生きている実感を得るためには、コストを支払ってその場しのぎをするか、もしくは思い切って自分の生きざまを変えてみよう。

 という、飽きっぽい自分への言い訳でした。
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