車上生活で本を書く 青井硝子のケイトライフ

軽トラック上に家をDIYして車上生活する方法や、住所不定のままお金を稼ぐ方法、小説家になる方法などを記録していきます。普段は川原でBライフ的田舎暮らしをしたり、都会の駐車場にモバイルハウスで生活してます。ノマド生活や肩肘張らない起業に興味ある方はぜひ。

カテゴリー "都会暮らし" の記事

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近況報告とアヤワスカ

さて、前述した(といっても半年以上前か)女の子について。

その子、約二年が経過して心が回復してきたみたい。そのあいだ自分は家を持ち、家を持つためにバイトして、二人で折半しながら共同生活してきました。
彼女の貯金がつきるまでに彼女の心が回復するかどうかが肝だったので、できるだけ安いアパートを借りて、慎ましやかに暮らして。(金もかからないし河原で暮らそうぜって提案したんだけど、拒否された。都会に執着があるんだって)
本も出版されたばかりでケイトライフを長いこと中断するのは非常に心苦しい選択だった。けれども、その甲斐はあったみたい。

大きく変わったところと言えば、まず彼女の断薬に成功した。それに伴って彼女自身の手により一つずつ「地雷」が撤去されていった。地雷とは、ある特定の条件が重なったときPTSDのように過去が思い起こされ情緒不安定になることをたとえて地雷ね。
ちなみに心屋塾というセミナーに惚れ込んだらしく、彼女の貯金から60万円強ぶち込んで治しに行ったとのこと。すごいよね、その決断力。尊敬する。

そうして、あらかたの地雷が撤去されようとしていた去年11月。
とつぜん彼女がサイキック能力に目覚めた。

サイキック能力。マンガか。

詳しくはまた後で述べるとして、見える聞こえる干渉できるの三拍子揃った能力っぽい。最初は見えるだけだったんだけど、最近のスピリチュアル業界はすごい。ネットが発達したおかげで、数少ない本物同士が能力の制御方法なんかをお互いに情報交換できるようになったとのこと。チベット仏教の秘奥義タルパが簡単に検索できるようになったのと近い。すごいなぁ(半信半疑)


ちなみにそのおかげで自分にも大きな変化が起こった。
その「視える」彼女に言われたのがきっかけ。

「てめーキンタマのチャクラがカッスカスなんだよ!」

……( ゚Д゚)?

……( ゚Д゚)!!!

意味は分からないけど、なぜだか超絶腑に落ちた。
そうかー、俺はキンタマのチャクラがカッスカスなのかー。
なるほどなー。

……で、治し方は?

「知るか!!」

……( ゚Д゚)!??

……( ゚Д゚)!!???wwwww???!!???wwwww



このとき、彼女はまだ目覚めたばかりでどうやって干渉したらいいか分からなかったらしい。なので、自分でどうやったらキンタマのチャクラに気が回るのか考えざるを得なくなった。
なんでも、第一第二チャクラは金を稼ぐことに直結するチャクラらしく、そこがカスカスだと命に至るとさ。

結果から先に言うと、バイト先のクソ上司を全力全開で怒鳴り散らすことでギュンギュン回るようになった。

もうね、そもそも科学じゃねんだから因果関係とかゴチャゴチャ言ってもしょうがない。
怒鳴ったら回った。

そして当然ながらバイトは辞めることになったけれど、次のバイトで時給が二倍以上に増えた。おかげで今の八王子のボロアパート(と彼女は言っているが自分にとっては宮殿)を維持するだけなら土日働くだけで喰っていけるようになった。今ケイトライフに戻ったなら毎日うなぎとマグロが喰えるだろう。

で、これは心屋で言うところのいわゆる「パターン崩し」、ってやつらしい。

カスカスになった原因は自分ではハッキリしていると思っていて、それは県の職員に一千万円の助成金給付を盾にアルハラパワハラされまくって怒鳴られまくったこと。
今でも条件が整えば即座に殺せるほどの殺意を抱えているけれど、それに対して自分は闘争を回避することしかしなかった。
なぜかというとそれはまあ母親の教えが強くあって、「感情は二の次で自分の得になる行動をとりなさい」というもの。

確かに回避はお互いにとって最善ではある。ただ、その行動で、否定された男性性が回復することはないやね。

怒鳴るという行為は自分にとって、この回避性向を真っ向から否定して自身の紛争処理能力を信じることと同義だったのだと思う。

ケイトライフ、そして僭越ながら、ひいてはBライフとそれに準ずる生活様式は、叩かれるのを覚悟で言うと、この回避性向が根底に流れている。
パリで浮浪生活を営むプロ浮浪者の人と、歌舞伎町はてんぐちんバーで一晩語り合った経験からもそれが裏付けられた。

もちろんそれがダメだとは絶対に言わない。むしろオススメだしやってみると超楽しい。社会を外側から見る経験って非常に大事なもので、それがあるのとないのとでは身の回りにあるもの全ての見え方が違ってくる。

ただ、社会も面白い。社会に戻って最初にやったセメントの荷揚げや夜間警備員、工場のネジ締めのバイトなんかはめちゃくちゃ大変だけど、それなりに楽しい。頑張ったらローストビーフとか食べられるしね。今まで議員や政治家なんかのあまりにも腐ったところばかりと付き合ってきたから臭すぎてダメだったんだ。もっと楽しいところは別のところにいっぱいある。社会の中にも外にも。


最近はとらのあなでタイガー物語講座なんてのも開かせていただいて、とても好評だったりする。小説も、次作の制作進んでるし非常食三巻もちょっと時間かかるけど出せそうだし。これもキンタマチャクラが回ったおかげかねー。いやフツーに考えて皆さんに支えられてるからに決まってるんだけどね。

そうそう、ケイトライフ中に吸っていたいろんな草をまとめた本が出てるんだ。
「煙遊びと煙薬」っつって、酔える雑草を集めた本だよ。とらのあな専売だよー。
最近じゃさらに研究が進んで、「合法的アヤワスカ」と「合法的ディバインセージ」が完成しつつある。
世界最強のサイケ幻覚剤アヤワスカと、最強の乖離性幻覚剤ディバインセージを再現したものだね。しかも合法的に。市販の観葉植物のみを使って。

いやーすごいね。色が綺麗だからってだけの理由でアステカの秘宝をこうも簡単に増やして売りさばいてんだもんなー。一本百円で。
一本百円で。
いやーすごいね。社会は一皮めくるだけでめちゃくちゃ面白い可能性が寝っ転がってる。
しかもそれが、虐待やトラウマ、PTSD、依存、などの心の傷の治療と直結する作用を持っているっぽい。

というわけで、ケイトライフ改め雑草でガンギマリライフ、はっじまーるよー






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「生きている実感」に支払うコストについて

「人間、同じことをずっとやってると飽きるんですよ」ってのが結論です。


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 小学生のころに、国語の授業で「生きている実感がわくのはどんな時ですか?」という質問があったことを今でも覚えている。

 確かそのときの自分の回答は「美味しいものを食べた時」で、教員の期待する答えじゃなかったらしい。
 次に当てられた空手やってる友人(最近結婚した)は、こう答えた。
 「殴られて痛ぇって思った時」
 で、これが当時の教員の期待する答えだったらしい。

 多分その時の自分は、正解できずに悔しかったんだろうと思う。
 だから、あれからずっと「生きている実感」とはなんぞや、という妙ちくりんな事を時折思い出しては考え続けている。

 
 ケイトライフをやるようになって、ちょっとだけ答えが見えた。
 おそらくだけれども、生きている実感とは「長らく与えられなかった刺激を受けて、抑圧していた感情が表に出たときに感じる解放感やカタルシス」のことを指して言っているのだと思う。


 殴られて痛いと感じる事なんて生きている上でほとんど無いし、とてつもなく美味しいと思う食べ物に出会う機会もまれだろう。
 二つの例は共に、長いこと忘れていた感情を思い出させてくれた点で共通している。

 感情とは一握の砂のようなもので、しっかり把握しているつもりでもいつの間にか指の隙間からサラサラと零れ落ちてしまうものだと思う。ふとした瞬間にいつの間にか足りなくなってしまっていることに気付く。

 毎日同じものを食べていると栄養が偏るように、毎日同じことを繰り返していると心の栄養が偏る。日々サラサラと零れ落ちてしまう感情という砂を求めて、心が「早く補給してくれー」と叫んでいるのが分かる。
 叫びを無視することもできるが、それは心が黙ったわけではなくてただ耳を塞いだだけの一時凌ぎでしかない。
 心が疲れたという状態は、こういうことを指して言うのだとまずここで定義させてもらう。

 同じことばかり繰り返すと、得られる感情と得られない感情が出てきて、心が疲れる。



 さて、この欠落を満たすと金になる、ということに気付いた人たちが、やれフィットネスクラブだのスポーツジムだのリゾートスパだのを作って疲れたサラリーマンさん達を全力で癒しにかかっている。
 そういう施設はあまり利用したことがないので、前述の零れ落ちた感情をどのくらい満たせているのかは知らないが、それを利用している働きマンさん達も癒しの施術師さんたちもすごいなぁ尊敬しちゃうなぁと思っている。


 ただし自分はそんなマッチョな生き方はごめんこうむります。

 自分には向いてない。
 かかるコストがべらぼうに高い。
 バブルっぽい。
 バブルっぽさは今ではもう臭さと同義だ。


 感情のバランスを整えて、手軽に生きている実感を得たいのであれば、もう少しスマートな方法があるはず。
 要は同じことばかり繰り返しているから別の感情を補填する何かが必要になるのであって、定期的あるいは不定期に真逆の生活を取り入れればいい。


 そこで提案。
 夏が来たら冬が待ち遠しいのと同じように、全然別の二項対立を生活に組み入れようと思う。

 都会に住み飽きたら田舎へ。
 人付き合いに倦いたら人のいない場所へ。
 海がしょっぱすぎたら山へ。
 暑くなってきたら高地へ。
 寒くなってきたら高知へ。

 これで、生きている実感を得るためにかかるコストが最小限に抑えられる。
 翻って言えば、この生き方が一番生きている実感を感じやすいことになる。

 まるで養蜂家のような生き方だけれども、これに従って働き方を決めるのであれば可能かと思われる。
 今は都会の駐車場に停まってアルバイトで金を貯めているが、適度なところでまた田舎の無料駐車場で暮らそう。夏場だけリゾートバイトでお金を貯めて、その他は諸国遊覧でもいけそうだ。
 また河原にしようか、それとも湖にしようか。そういえば北海道に行く約束もしていたな。


 将来的には文筆業を軌道に乗せ、更に生きている実感を得やすい生活スタイルに変えていく方針でいこう。
 さらには「日本に飽きたら海外へ」という二項対立も生活に組み入れたいところだが、なにぶんフェリーでいける外国が近くにないため検討中。


IMG_3974.jpg

 人は同じことばかりやってると飽きる。
 生きている実感を得るためには、コストを支払ってその場しのぎをするか、もしくは思い切って自分の生きざまを変えてみよう。

 という、飽きっぽい自分への言い訳でした。
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